ごあいさつ

卬高 ー高きを仰ぐー

静岡高等学校 学校長 織田 敦

 静岡高校は明治11年に創立された伝統校であり、静岡県の高校教育を牽引する存在です。校訓「卬高(高きを仰ぐ)」と三つの実践目標(われわれは勉強を本分とする。われわれは人に迷惑をかけない。われわれは自主的に行動する。)のもと、140年以上の長きに渡り、世界、日本、地域で活躍する多くの人材を輩出してまいりました。

 現在、本校は下記のスクール・ミッションを掲げ、教育活動を行っています。

本県における高校教育のフロントランナーとして、校訓『卬高』の精神の下、主体的に勉学に励み、何事にも探究心をもって課題解決を図る学習を通して、将来、国内外の様々な分野で活躍するグローバルリーダーの育成を目指す。

 静高生には、日々の授業、学校行事、部活動等を通して自らを高め、社会に貢献できる人材に成長してほしいと思います。教職員一同、「国内外の様々な分野で活躍するグローバルリーダーの育成を図る」ことを自らのミッションとして、教育活動に取り組んでまいります。
                   

校訓

卬高こうこう

  ―高きを仰ぐ―

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

卬高碑の由来

 1930年(昭和5年)5月29日、昭和天皇が本校に行幸され、授業をはじめ、野球(対静商戦)、剣道、柔道、弓道、水泳を天覧された。

この行幸に、一木喜徳郎宮内大臣(本県掛川市出身、父岡田良一郎は報徳社運動の指導者、兄良平は文相など歴任)が同行していた。その時、一木宮内大臣は行幸記念にニ枚の書を揮毫された。一枚が「卬高」であり、他の一枚は「仰高」であった。「卬」は「仰」の人偏を取った漢字であり、音も意味もほぼ同じとみてよい。すなわち、両字ともに音は「ぎょう」または「ごう」(慣用的に「こう」)であり、意味は「のぞむ」「あおぐ」である。

「卬高(仰高)」の出典は、論語の『仰之弥高、鑽之弥堅』(これを仰げばいよいよ高く、これを鑽(き)ればいよいよ堅し)と、詩経の『高山仰止、景行行止』のニつが考えられるが、昭和5年10月13日発行の静岡中学校校友会誌「卬髙」の裏表紙には「思ふに題銘卬高は詩の高山仰止より出づるか。」と断定を避けた記載をされている。それをうけて、その後発行された生徒手帳には「卬高」の出典を詩経としている。

かつての本校(静岡中学校)は全県下から逸材が集まり、彼らの生活の場である寄宿舎もあった。1915年(大正4年)、大正天皇即位の御大典を記念して、寄宿舎は「仰止寮(ぎようしりよう)」と命名された。なぜ「仰止」という言葉が用いられたかは明らかではないが、おそらく、詩経の『髙山仰止、景行行止』に拠ったことと思われる。『髙山仰止』とは、髙い山を仰ぎ慕うこと、『景行行止』とは大道を行くことの意味である。

そう考えると、「卬高(仰高)」も「仰止寮」も出典は同じ「詩経」の同じ語句であり、一木喜徳郎宮内大臣が「卬高」と揮毫してくれたのは、「仰止寮」の「仰止」を意識されてのことであったと考えられる。

 二枚の墨書のうち、「卬高」が選ばれ、12月10日に「卬高碑」が建立された。碑の裏側には「行幸記念昭和五年五月廿九日一木宮内大臣題」とあり、台座には「石工杉本新次」と刻まれている。

山本正撰

(この説明文は、正門を入ってすぐ右のところにあるニ代目「卬高碑」(平成八年)と並んで設置されている「由来碑」の碑文です。玄関にある「卬高碑」が初代(昭和五年)になります。)

 

実践目標

われわれは勉学を本分とする。
われわれは人に迷惑をかけない。
われわれは自主的に行動する。